月の歌会



連歌の花道

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    ミルフィーユみたく写真を積んでいく一番上はいつまでも今

    さん&薫智大介さん

    今というのは常に更新されるものです。だから今の写真を重ねていくと一番上が最新の今になり、それより下はすべて過去になる。この歌の魅力はその(あまり見かけるとは言えない)状態をミルフィーユのようと例えたことでしょう。甘い今の蓄積なのかもしれません。
    大木はち

    「みたく」とありますしきっと時間が重なる比喩なのだと受け取りましたが、あえてそのままファンタジーな情景を心の中で浮かべました。世界中の人間の、「今」の「写真」でできたミルフィーユが実際に鎮座していたら、と。ミルフィーユだと横から層がはっきり見えるので、過去は絶対無駄ではないしないがしろにもしないという気持ちもしっかりと見えるように思えます。
    不可思転

    下の句のいいまわしはオリジナルですか。だとしたら脱帽です。名文句として残りますね。
    ミルフィーユと言ったことで、あのこんがりとして、バターや砂糖たっぷりの甘い香りが漂ってきます。
    村田一広

    うちにも整理されず積まれた写真の山がありまして、それをミルフィーユと表現したのにはなるほどと目から鱗でした。とてもしっくり来る、情景の浮かぶ良い歌だなと思いました。
    小早川

    今をたくさん重ねてきて「今」があることをミルフィーユに例えたことが綺麗だと思います。ミルフィーユのように甘く香ばしい過去があったのでしょうか。想像がふくらみます。
    オリー

    「今」の積み重ねをミルフィーユと表現されたのは素敵です。モノがある写真に限らず、記憶の中の思い出の積み重ねも同じでしょう。でも、下の方(過去)まで味は変わらずおいしいんですよね…!(ミルフィーユ食べたくなりました)
    「みたく」はなんだか口語的であり、私だったら字余りを気にせず「みたいに」とするかなと思いました。「見たく」などという意味もあるのかもしれません。
    亜梨

    日々撮り続けられていく写真を積み重なったミルフィールにたとえたところはうまいなあと思いました。重なる「イ」の音も今を強く想起させます。フィルムで撮影していたころの写真から携帯電話やスマートフォンで撮影する写真への移り変わりも、全体に伝わってきました。歌全体の流れは、もう一歩工夫できたのではないのでしょうか。
    太田青磁

    ミルフィーユに見立てた写真というのがなんともいいですね。
    確かに積み重なった写真はミルフィーユに似ていると思います。
    積み重なった過去の上に乗っかっている今、その今の切り口が鮮明です。
    塾カレー

    まっさきに思い浮かんだのは、『アルバム』です。
    たくさんの写真が1枚1枚、1ページ1ページに大切に張られていき、1冊がいっぱいになれば次のアルバムへ。そして何冊もの思い出が本棚に詰まっていく。その様子は何層にも生地が重ねられたミルフィーユのよう。
    そしてミルフィーユが何層にも生地を重ねたから、あのさくりとおいしい口当たりになるように、アルバムもたくさんの写真を納めて、子供の成長や楽しい日々の積み重ねがあるからこそ、なおさら懐かしく幸せをより強く実感できるのだと思います。
    きっと、たくさんの写真がそのアルバムに積み重なっているのでしょう。生まれた時の笑顔、お母さんとはじめてのツーショット、あぶなっかしく抱き上げるお父さん、親戚中が集まってかわりばんこの集合写真、ハイハイで徘徊している頃、つかまり立ちができた日、歩行機で歩く練習をしたころ、ぐちゃぐちゃに離乳食をこぼしてる食事風景、お母さんとお父さんを呼んでる笑顔、おめかしした七五三、公園ではしゃぎ回って転んで泣いてるところ、友達とのかけっこ、入園式でのちょっぴり不安な顔、お遊戯会でいっしょうけんめいに歌って赤くなった顔……、たくさんの姿がそこに大切にしまってあるのだと思います。
    わたしはこの写真たちは、大切に慈しまれて育った『誰か』、もしくはその家族のものだと思うのです。最後まで写真を納めたアルバムは、『一番上』が『今』になりません。普通は立てかけられてしまってあるでしょうし、それをテーブルに置くときは表を、つまり一番『むかし』を上にするでしょう。
    だから、『一番上』が『今』ということは、まさに今この瞬間に『新しい写真』が張られていっているのだと思います。現在進行で積み重なっていく写真と思い出。
    わたしの小さい頃も、よくお母さんが写真を撮ってくれてたくさんのアルバムが今も家にしまってあります。けれど、高校あたりから写真を撮る頻度はかなり減ったものです。お互いに時間がなくなるのもそうですし、撮られる側がなんとなく恥ずかしくて写真をいやがるようになるからでしょう。
    だから、今まさに、きっと毎日のように写真が増えていくというのは、本当にこどもがかわいくて、大切で、愛しているお母さんとお父さんがいるからだと感じるのです。
    そして、このお歌が写真をアルバムに張っている場面だと思うと、ものすごく心暖まる光景が目に浮かぶのです。最近はデジカメでパソコンやUSBに保存されたままというのも多い中で、時間を作ってアルバムに写真を張っていく。それにただアルバムに張るだけでも、写真の縦横の向きやスペースでレイアウトにはかなり試行錯誤する余地があります。「ここにはこの写真を並べましょう」「いいや、この写真は1ページ使ってしまおう」なんて。そんなふうに話し合いながら、お母さんとお父さんが、お互いに子ども自慢と自分のベストショットの賞賛をしあって、最高のアルバムを作っている。そのアルバムに納められる写真の未来である今は、みんなの笑顔。『いつまでも今』の幸せな笑顔。
    それはとても、ミルフィーユみたいに甘くて幸せなひとときなのだと思います。
    奈月遥

    自分はネガティブ野郎だから、この歌すっごく怖いと思いました。メインで感じたのは、他の人が書いているような明るい可愛い感想なんですけど、じわじわーと怖さが。
    ミルフィーユに喩えられた写真は、楽しく幸せな「今」を切り取ったものばかりなんだと思います。ときどきキャラメルみたいに苦い部分もあるかもしれないけど、全体としては美味しく仕上がるような、いい苦さなんだろうな。
    怖いと思ったのは「いつまでも今」です。新しい写真が来なければ「今」は更新されない。つらい時期が来たら、このひとの「今」はずっと前に止まったっきりになってしまう。歌の雰囲気が明るくて可愛いらしく、「いつまでも今」と結句で言い切ってるものですから、その可能性を全く想像していないか、もしくは「それでいいじゃないか」と肯定しているような感じがして、それが怖かったです。底抜けの無邪気さか、途方も無い苦痛の末の思い切りか……。
    ゆら

    ミルフィーユという比喩は、写真の積み重ねということ以上に、言わずして甘い思い出ということを表現できていて良い表現ですね。一方で、『ミルフィーユみたく積んでいく』ってどういう積み方なのかと気になる部分もあります。
    また、『一番上はいつまでも今』という表現も甘い思い出に執着せずに今を生きよう、楽しもうという主体の前向きな気持ちが伝わってきます。
    焼きみかん

    写真を重ねていくと一番上が常に「今」だ。というとてもシンプルな発見。いろいろ詰め込んだ歌が多い中で、このシンプルさがかえって爽やかで気持ちよく感じました。「今」のお題にもすんなりはまりますし、積まれた写真をミルフィーユに例えたところも良かったと思います。ひとつだけ気になったのが「みたく」です。口語短歌とはいえ、文字になるとちょっと引っかかります。もう少し他の言葉や語順をいじれたかもしれません。でもそれを差し引いても好きなお歌でした。
    千原こはぎ

    「ミルフィーユ」という直喩に惹かれました。ただ、スイートな雰囲気の歌なので、「みたく」と続けるのはあまりにも幼い印象を受けます(「積んでいく」との押韻を考えられたのでしょうか)。「一番上はいつまでも今」というフレーズも、JPOP感は否めませんが、私は嫌いではありませんでした。Iの音を上手く用いているように思います。
    龍翔

    ミルフィーユの比喩表現がとても好きです。
    たとえられているのは時間ではなく記憶だと思いました。
    過去を忘れてはできません。たくさんの記憶を積み上げてこそ、ミルフィーユ。
    ごろー

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