もう鍵を持っていないという寂しさを、人差し指でうまく表現されていて、情景がとても思い描けました。
知己凛
「人差し指」の表現がいいと思います。初句の「も」「また」は重複にも思えるので、他の表現があるかもしれません。
紫苑
切ない歌だなと思いました。「今日もまたきみに会えない人になる」とあるように、主体は「きみ」に会えないとわかっている。しかし、「人差し指を鍵穴にさす」とあるように、ドアを開けようとしている。会えないとわかっているのに、ドアは開かないのに、それでも「人差し指を鍵穴にさす」という様子から、主体は「きみ」にまだ未練があるのかな、と思いました。
さらに、「今日もまた」というところから、このやり切れなさの残る行動を何度も繰り返しているのだろうと読み取りました。切なさのにじむ歌だなと思いました。
逢
「人になる」と「人差し指」の人がうまく重なっていて面白いです。「鍵穴にさす」はそんなことをしても鍵が開かないのをわかっていても、思わずという切ない雰囲気が伝わってきます。
太田青磁
一歩間違えてストーカーの歌かと思っちゃいました。人差し指だろうと開けようとするなっ! とツッコミ入れたのが最初の感想です。ストーカーとまでいかなくても、うちだったら合鍵を渡すくらいの間柄じゃなきゃアポなしで家に来られたら嫌だなぁ。
というわけで、実際に「きみ」が暮らしてる部屋の鍵に人差し指さしこんだのではないのだろうなーと。別れて引っ越してしまったあと、死別したあとの部屋に、未練たらしくやってきたとか。死別だと「今日もまた」の重みとシックリ感が増すように思います。人差し指はドアをあけるためだけでなく、「きみ」といたあのときに戻る特別な願いをたくされた鍵なのでしょう。だとしたら、「きみ」の部屋のドアでなくてもいいのかな。仕事場にあるドアをや通りすがりに見つけたドアを、「きみ」につながるどこでもドアに変えたいのかもしれません(どこでもドアって過去にも未来にもいけるんですよ)鍵穴を見つけたらやってしまう、というのも切なくていいなと思います。
もうひとつ思ったのが、自分の暮らす家の鍵かもしれないってことです。出勤するときに鍵をかけようとしながら、「今日もまた仕事が忙しくて会えない。もうずっと会えてない。休みが欲しい……もう3時間寝て、それからデートに行きたい」なんて思っている主人公を想像しました。鍵をかけるというのは、もう会社に行くしかないってことの象徴のように思うんです。会社に行きたくない。でも行かないといけない。そんな葛藤が、人差し指をさすというちょっとした奇行に結びついたのかなーと思いました。
「きみに会えない人になる」っていいですね。自分をまるごとそう定義するくらい、「きみ」が中心なんだなぁ。
「きみ」とどうして会えないのか、どういう理由で「今日もまた」会えないと分かるのか、どこの鍵穴にそんなことしてるのか……読むひとの解釈による穴埋めでストーリーがいろいろできそうですが、そのどれもが切ない物語になるでしょう。そこがいいなと思います。たくさんの解釈があっても、重要な部分はキチンと伝わっています。
ゆら
初見では「人差し指を鍵穴」はスマホのことかと思いました。
ググってみたら「リーチがかかるとパチンコ台の鍵穴を人差し指で押えると大当りしやすい」という都市伝説を目にしました。
まったくの見当違いだったらごめんなさい。
遊糸
スマホって読み方いいですねー!
ゆら
この指が鍵となって、相手の心の扉も実際のドアも開けばいいのに、と切なくなっているひとを思い描きました。
スマホという捉え方にはびっくりです。なるほど……!
不可思転