あなたの夢がやわらかくていいですね。朝を漂うも夢と現実のあわいを感じさせていいなと思います。字余りはひと工夫できたのではとも思いました。
太田青磁
今しがた覚めた夢。ぼんやりしてる寝ぼけまなこの姿が想像されてかわいい。結句の漂うに繋がっていくふわふわ感が全体に広がります。
三次則秋
穏やかな朝のまどろみの中で、ほんのりと切なさがうずまいている情景が、なんとも美しいと思います。
「今しがた」と始まるところが、とてもいいですね。「今しがた」という表現は、相手に語りかける時に使うもの。起きて瞬間に目の前からいなくなった「あなた」へと、夢の残滓がまだある間に、今の言うにも言われない愛しさと哀しみが混じった気持ちを伝えようとしているのでしょう。とても純粋な祈りに健気さを感じます。
そして「私」は目覚めたのは「あなた」の夢から。自分の夢、自分の潜在意識が都合よく造り出した妄想ではなく、「あなた」の心が投影された夢にいられたこと。どれだけ幸せなことでしょう。そこには、確かに「私」へ向けられていた想いが溢れているのですから。
そしてその夢は、「あなた」からすれば「私」の夢であったことでしょう。二人の命が夢という場所で繋がり、溶けあって、出逢う。それは現実でも、おなじこと。体という器に納まった命、その認識を司る心というものが「それぞれ」見ている現実で。出逢いとは、お互いのその心が別個に認識しているのだけれど、確かにそれを共有していると実感できたとき、それは現実でも夢でも等しく「真実」の出逢いと言えるのではないでしょうか。
その幸せな出逢いから別れて――目覚めという現実への復帰によって引き裂かれた時、「私」の心は、現実を全て受け入れることはできず、けれど朝の陽射しを目の当たりにして、夢の残滓が幸せに気持ちを浸しつつ、また眠ったとしても戻れないだろうと理解して切なさが心を揺らす。そんなどうしようもなく、そして波打つ感情に、「私」は漂っている――ひとりで、一人で、独りで。泣きたいような気分にもさせられます。それも、さびしくてかなしくて声を張り上げたい気持ちとあたたかで幸せで思わず涙がこぼれてきそうな気持ちと、そのどちらも押し寄せてきて、しかもそれがまったくの同じものなのです。例えるなら、海の波が盛り上がるのと引き沈むのと同じよう。波は同じ波で、上がっても下がっても、揺られるのも同じ。けど、上がるのと下がるのとは違う。あえて名づけるならば、「愛しさ」が表情を変えているのでしょう。
上の句が「夢から覚めました」と言い切って区切られていることで、もはや夢に戻れない実感が伝わってきます。目が覚めた前後は、はっきりと断絶しているのだと。下の句では、それでも夢を振り返る「私」が戻れない夢と認めない朝との間でなにをする気力もなく身を委ねていて。その中で、どうすればよいのか「あなた」に問いかけているよう。あるいは、現実でもすぐに逢いに来てほしいと「あなた」にねだているよう。
ありのままの歌で、とても共感ができました。
奈月遥
昔は「夢に想い人が出ると、相手がこちらをおもってくれているのだ」と考えたという話を思い出しました。
「あなたの夢」というのは様々な受け取り方ができると思います。「あなた」がつい先ほどまで見ていた夢とリンクしたのか、「あなた」が出てきた夢だったのか、それとも「あなたの夢」というのは「あなた」をおもっていた「私」の熱の象徴なのか。
上句の表現がまるで「あなた」におもいを告げているようで、切ないです。
不可思転
朝まで飲んで、始発で帰る為に駅まで向かう時のような虚しさですね。
塾カレー
夢と現実の交錯する僅かな間。「あなた」に親しく報告する形をとっていながら、そのひとが今も親しい相手なのかそうでないのかはどちらともとれそうです。前者であれば余韻を味わうふわりとした間、後者であれば思わず語りかけてから、あああなたはいないのだと実感するまでの間。どうともとれる浮遊感と実感を伴う言葉の選び方が自然で、上手いなあと感じました。(一瞬、ある朝相手への恋が冷めて突然孤独を感じた、という歌にも見えて怖くも感じたのですが、考えすぎですよね…)
蒼井灯
誰かに語り掛けてるような口調なのにすごくぼんやりとしていて、相手がこの世にすらいないような雰囲気です。あなたの夢はあなたがいる夢だと思いました、朝なのに漂うのはまだ断ち切れてないからかな。さみしい。
はだし