Twitterなんて出入りの激しい場所だし、消えたり現れたりは頻繁にあるもの、と考える人には更新がなくての心配はしないのだろうが、完全に生活の一部になっている人にはそうは映らないのだろう。これも時代というものか。
村田馨
歌題の「新」を「更新」に使っているのが面白いです。「ない」が三回繰り返されているのもリズムが整って良いですね。上の句は主体のなげやりな怒りのような感情が感じられます。それは君がひと月も音信不通にしていることに対してでしょうか。Twitterでしか連絡を取れないという関係ならではの歌ですね。
多田なの
「もう知らない」と言いながらちゃっかり「ひと月以上更新がない」ことを確認しているありように微笑ましさが感じられる。ちょっと物足りなさが感じられてしまうのだが、それは具体的な情景が浮かんでこないからだろう。下句をもっと感覚的に訴えかける表現にするといいのかもしれない。
菊池あき
もう見ない、もう知らない、とたたみかけるようなフレーズに読ませる勢いを感じました。たったひと月更新がないだけで、安否すら不安になってしまう、SNSの依存性の強さの風刺なのかなと感じました。上の句に助詞が欠落していて、主体と君の関係性が曖昧に思えました。
太田青磁
twitter上で毎日ツイートしていた知人が不意に数か月更新をやめ連絡先も分からなくなった経験があり、ひどく共感致しました(私事ながら補足をすれば、私の場合は無事にその後連絡がついたのですが)。何かしら諍いがあった相手なのでしょうか、上の句にかたくなな強さがあり、だからこそ下の句で滲み出す案ずる心が効いています。諍いがあったとして、それはつまり、諍いがあるほど交流があった相手、ということでしょうから。
ルオ
きっとよくある話でそれこそそのまま流れていってしまう情報ですが。ある一定の仲間内ではTwitter中心の世界で、更新がないことはとんでもない非常事態なのかも知れないですね。すごく狭い世界の話でそっちのほうが心配になります。
気球
上句は「もう見ない」「もう知らない」と言いながらきっと見つづけるんだろうな、と想像させて良かったのですが、下句は上句の補足だけになってしまっていて残念です。
泳二
SNSで知り合い、
その中でしか通じ合うことが出来ない細い糸を
大切にしている様子が思い浮かびました。
死んでる死刑囚